隙間を意識する

行間を読むという言葉があります。

文章と文章間にある意味汲み取れ、という意味ですよね。

細分化すると言葉と言葉の間という意味になりますが、
言葉はまとまることで意味をなすためあまり細分化しすぎないのが普通です。

で、例えばビートはどうでしょうか?

ひとつの音、それ自体には意味がありません。

しかし、それが連続するとビートになります。

そして、連続する音をビートとして成立させているもの、それが隙間です。

なので、ビートにおいては隙間が重要な役割を果たしているのです。

音を出す瞬間と同様に、音を出さない隙間も大切に演奏すべきなのですね。

ドラムであれば、叩いていない瞬間があるからこそビートが成り立つのです。

速いフレーズや、複雑なフレーズは確かに難しいし、
繰り返し練習しなければ叩けるようになりません。

でも、叩いていない瞬間が大切だとすると、
ゆったりしたフレーズやシンプルなフレーズも同様に繰り返し練習が必要だということになります。

ここを意識するかどうかでドラムのプレイは全く違ったものになります。

隙間を制する者がビートを自在に操ることができる

私はそう信じています。

ライブ情報


2017年のhidekaさんのライブが決まっています。

 
2017/3/9(thu)
高円寺HIGH
“we are the beautiful!”

平日の夜ですが、今のうちにご都合つけて是非遊びにいらしてください。

 
2017/6/11(sun)
札幌Spilitual lounge

ベストな形で故郷でのライブが実現します。

こちらもお近くの方は是非いらしてください。

 
どちらも詳細は後日アップします。

 
他にも地方遠征したいと思っています。

ライブのお誘いをお待ちしています。

人間の本質

私はこれまでの人生の中で、何度も生まれ変わったつもりで新しいことをしてきました。

生まれ変わるというのは、環境を変えたり、住む場所を変えたり、心を入れ替えたりと色々です。

この度、約20年ぶりの友人とサシ飲みしてきました。

そこで自分の本質を垣間見るという
面白い経験をしました。

彼が語ってくれた20年前の私がしていた言動、それはなんと今とそれほど変わらなかったのです。

普段からあまり過去を振り返ることをしないせいか、私は過去のことをすごいスピードで忘れています。

ところが今回会った友人は実に細かいことまで覚えてくれていました。

そのおかげで、過去の自分がどんな感じだったのかを鮮明に思い出すことができました。

で、結局のところ本質は変わっていませんでした。

人間、生まれ変わったつもりでいても
ほ本質はそれほど変わっていないみたいです。

私は100%の熱量で彼の良いところを褒めていたみたいです。

そして、彼曰く私のそういう部分は全然変わっていないみたいです。

自分の本質は周囲にいる親しい人の方が見えているようですね。

同時に、自分を客観視する力はまだまだ足りていないようだと気付かされた経験でした。

オヤジバンドという呼称

若い頃からオヤジバンドという呼称が嫌いです。

音楽は若者だけのものではないです。

なのに、年齢を重ねた方々がバンドをやるとオヤジバンドと言う人がいます。

オヤジ野球とかオヤジサッカーとかいう呼称はないですよね。

それだけに、オヤジバンドという呼称には悪意を感じるのです。

何か歳をとっている人たちがバンドをやることが興味本位で見られているような気がしてなりません。

また、バンドをやる方も
歳をとっているけどまだやっています

みたいな遠慮が垣間見られます。

でも一体何に対して遠慮したり、気恥ずかしく思う必要があるというのでしょうか?

私はいくつになってもオヤジバンドをやるつもりは全くありません。

そんなジャンルはありません。
幸い、東京のライブハウスには様々な年齢層がいらっしゃいます。

皆さん音楽を楽しんでいて、とても良いと思います。

地方だと音楽、特にロックは若者の物みたいな風潮が強いので、
本当はロックが好きな人たちもあまりライブハウスに行かなくなってしまう傾向があります。

私は年上の人たちにも自分の音楽を聴いて欲しいと思っています。

若い頃からそう思っていました。

だから、ロック好きな人はいくつになってもロックを聴いたり、バンドをやれば良いのです。

好きなことをするのに遠慮しなければならなかったり、照れなければならないのはおかしいです。

大人が堂々と音楽をできる世の中にしたいです。

年齢に囚われない

年齢に囚われたくありません。

若い頃からそう思っていました。

今私は46歳です。

16歳でバンドを始めて、今年でバンド歴30年になります。

そして今一緒に活動させていただいているhidekaさんと出会ったのは去年のことです。

45歳にして、憧れていたアーティストと一緒に活動できるようになったのです。
20代後半の頃、高校時代のクラス会に出席したときに
まだバンドやっているの?
と驚かれたことがあります。

一生やるよ、と答えました。

音楽をやるのって若者だけのものではないはずです。

世間一般の考え方が、人々の自由さを奪っているような気がしてなりません。

もう何歳なんだから落ち着きなさい、とか、
そんなの本当は本人の自由のはずなのに、世間から様々なブレーキをかけられることが多過ぎます。

年齢に囚われて、右へ倣えの生き方をしていても何も感じない人はそれでも良いです。

少なくとも私は違います。

年齢に逆らうのではなく、年齢に囚われない生き方をしていきます。

やってみる

人にはそれぞれの性格があります。

慎重派の人、とりあえずやってみる派の人。

どちらが良いかですが、どちらにしても結果としてやってみるのであれば良いと思います。

慎重に考えて、やらないという選択をすることはもちろんあるでしょう。

でも、慎重に考えて、やりたいけどさらに慎重に考えるという思考では、いつまでたっても事を始められません。

機会を逃してしまいます。

逃してしまうくらいなら、自分で背負えるリスクなら背負ってしまってやってみる事の方が発展的です。

やってみてからでも修正は可能な事は多いのです。

とりあえずやってみる派の人は直感を大切にしています。

そして、直感というものはかなりの確率で正しい事が多いのです。

小さな事から始めると良いかも知れません。

直感に従って何か行動してみる、それを記録しておく、そして何かうまくいったときに記録を読み返してみる。

そうすると、やはり直感に従って良かったと思える出来事が出てくる事でしょう。

まずやってみる

経験に頼らずに試してみることをお勧めします。

今年の目標

特に新年に改まって目標を立てるという感じではないのですが、
目標はたくさんあります。

しかし、一つに絞れと言われたら
良いライブをしたい
ということです。

自分がお客さんとして観た時に
おおいに感情を揺さぶられ、また観たいと思ったり、心の中にこの音楽が欲しいと思わせられるようなライブ

私の中の良いライブの定義です。

自分を解放して、演奏に魂を込めます。

自分が感じている気持ちを素直に表現します。

そうすれば気持ちが音となって伝わっていくことでしょう。

ライブは小手先の技術では自分自身が楽しめません。

同様にリスナーを楽しませることができません。

少なくとも私は魂をぶつけるドラムを叩いていきたいです。

ストレートにやるのが私流です。

常識に囚われない

アーティストにとって、常識にとらわれないという視点はとても大切な視点です。

過去に聴いてきた音楽に影響されるのは誰も同じです。

音楽教育を受けてきた方ならなおさら基礎に忠実に演奏したり、物を作ったりに囚われがちです。

私が好きなアーティストに岡本太郎さんがいます。

彼は明治生まれですが、基礎を学びつつも若くしてフランスに学びに行き、帰国してから唯一無二の才能で数々の作品を作りました。

そしてその作品たちはどれも大変個性的で、見た人の感情を揺さぶります。

その感情は決して良い感情だけではなく、悪い感情をも揺り起こします。

批判されたり、笑い者にされたりしたようですが、本人は信念を貫き通しました。

彼は成功者です。

しかし常に危険な道を選択し通してきた結果でした。

常識に囚われていると彼のような生き方はとてもじゃないけどできません。

元々の家庭環境が恵まれていたという点は否定できませんが、
彼の生き方は憧れです。

常識を取っ払って生きていけたら最高ですよね。

実生活を送りながらも、そんな気持ちで生きていけたらどんなに自由でしょうか。

パワースポット高円寺

高円寺駅前が大好きです。

メジャー、マイナーなライブハウスがたくさんあり、ガード下には活気あるれる商店街。

札幌に住んでいた頃からわざわざ何度も訪れていた町です。

次郎吉、曼荼羅、HIGHなどのメジャー級なライブハウスはもちろん、無力無善寺などのマイナーなライブハウスも楽しい場所です。

ここには好きな事をトコトン楽しむ人たちが集っているような雰囲気を感じます。

私にとっては非日常を味わうことのできるパワースポットです。

誰もそんなことは言っていないと思いますが、私にとってはそうです。

今回もまた元気をもらってしまいました!

何をしたという訳ではなく、ただ単にライブを観た後に町をぶらぶらしてみただけですが。

ウィラードのドラマーだったkyoyaさんがやられているステーキハウスの前も通りかかりましたが、満席なのが見えたので諦めました。

年末だったので人通りも少なく、空いている店も少なかったのですが、それでもパワーを感じ取れる場所です。

歩いているだけでもパワーを感じる場所ですが
今年はこの町でも是非ライブをしたいと思っています。

変な振り付けをさせようとする人

ステージでアーティストが変な振り付けをお客さんにするように煽ることがありますよね。

私はあまりそういうことに乗るタイプではないと思っていました。

ところが大晦日ライブでとても変な振り付けをさせようとする人の思惑にハマってしまいました。

あまりに変過ぎました。

そこでちょっとだけ真似してみました。

こんなの自分らしくないと思いながらも、もうちょっとだけ真似してみました。

そうすると、なんか楽しいのです。

これは一体何なのでしょう?

多分自分から進んで聴くことはないであろう音楽

なのに変に楽しくなっている

こんなことがあり得るのですね!

この歳にして初めて知る楽しさ、、、

目覚めたかも知れません!

単に身体を動かしたかったのか?

それとも身体を動かしたから楽しくなったのか?

謎ですが、人を動かすことと、動かされた人がどう感情を動かすのか

こんなことを考えてみるのも面白いかも知れない

なんて考えてみました。