過大評価、過小評価

自分のことをどう評価しているかは
自信に直結しています。

生活する日々の中で様々な経験をする私たちは、過小評価しがちです。

日本人として育ってきたということは、調和を大切にするように教育されてきたということです。

従順な性格であればあるほど個性が出しにくい環境だと思うのです。

厳しくされて育ってきて、ある時個性が大事だという正論に出会い、
戸惑いが生じます。

個性を抑圧されてきた期間が長かったので、今さら個性を出そうとしても不自然になります。

そもそも個性は自然に出てしまうものなのに
出そうとして頑張らなければならないというおかしな事になっており、

しかもその事に気が付かなかったりします。

そんな私達は自分のことを過小評価しがちです。

そして、自分のことを過大評価している人の事を良く思わない人がいます。

でも、自己評価は自分で決めるものです。

誰も評価しなくても、
せめて自分くらい、自分のことを評価してあげたら良いじゃないでしょうか。

他人に評価してもらおうと思ったって、それはあくまでもその人の感じるところなので
そもそもいくら頑張ったところで他人は誰かのことを評価する必要がないのです。

評価してもらえたらラッキー、その程度のものです。

時には自分のことを過大評価しても良いのではないでしょうか?

野外練習

札幌にいた頃、郊外の河原にドラムを持ち込んで、河原でドラムの練習をしていました。

特に今くらいの季節から6月くらいまでは気候がとても良いのです。

空気がカラッとしていると音もカラッとしていますよね。

木製の楽器だと特にそう感じます。

近くに何も無いところだったので、日が暮れるまで思う存分叩いていました。

たまに車が近くの道を通ることはありましたが、
苦情を言われたりしたことはなかったですね。

犬の散歩をしている人にも会いましたが、あまり気にされてなかったみたいです。

とても良い環境なのですが、虫刺されだけは参りました。

虫除けスプレーと蚊取り線香は必須でしたね。
野外だと音が響かないため、耳に聴こえてくる音はソフトです。

なので、その中でいかに通る音にチューニングするか
なんてことも試してみたりしていました。

そのままのチューニングでスタジオに入ってみると全然響きが違って、それも発見でした。

懐かしい思い出です。

阿吽の呼吸

阿吽(あうん)の呼吸、以心伝心、
大雑把に言うとどちらも言葉で言わなくても伝わるというような意味です。

楽器を演奏している最中は通常喋りません。

なので時には阿吽の呼吸が必要になります。

練習して、その通りに再現すればもちろん練習通りに演奏できます。

でも、アイコンタクトなり、相手の呼吸をはかるなり、何らかの方法が必要になる場面があります。

メンバーの誰かのノリがいつもと少し違うな

と感じた時、そのメンバーの方を見たりします。

気付いてもらえない時は寂しいですが、気付いてもらえて、アイコンタクトを取れて、こちらの言いたいことがわかってくれたら最高です。

誰かと一緒に音を出している限りは、
相手のことを意識しますよね。

私はそうなのですが、たまにそうではない人もいます。

特に、セッションなどで初めて会った人と音を出す時に
他の人のことを見ていない人がいますが、
これは困ります。

コミュニケーションは言葉だけでも、言葉以外だけでもなく、両方があって成り立つものですよね。

特に音楽を表現する場合にはこの点を考慮することで伝わり方が違うかも知れないですね。

左利きセッティングに思う

ドラム初心者の頃、スタジオに入ったら全てのセッティングが逆になっていて驚いたことがあります。

何か人とは違う演奏方法をしている人が使っていたのかと思いました。

でも、のちに左利きの方が叩いてる姿を見て納得しました。

でも考えてみると不思議な感じがしました。

たまたま今まで右利きセッティングしか知らなかったので
そのセッティングでドラムを覚えましたが、
もしかしたら左利きセッティングがスタンダードになっていた可能性もあるのかなと。

ドラムに限ったことではないですが、

鍵盤楽器の音程は右が高音で左が低音

弦楽器は左側にネックがくる

こんなことも全部不思議に思えてしまいます。

特に弦楽器なんて、右利きの人は右手の方が細かい動きが出来そうなものなのに、なぜ左手がネック側なのでしょうかね?

本当はどちらでも良かったのでしょうかね?

まあ、でも同じようなことを考える人がいると見えて、
ドラムにはオープンハンドで左手でハイハットを叩く方法もありますし、
ジミヘンみたいな変則的な弦の張り方をする人もいますよね。

結局、楽器の習得は慣れなので、どちらでも良いのでしょうかね?

ちなみに私は本物のドラムを見たことがない時に、
ハイハットは踏んだら開くのだと思っていましたので、
本物に触れた時にびっくりした事を覚えています。

あと、右足を怪我して使えないことが多かったため、左足でバスドラを踏むことは割と普通にやっていました。

鏡の中の世界に入ったら慣れるのが大変そうですね。

五感を信じる

人間は五感によって生きていることを実感しています。

危険を感じたり、生きていくために自分を守るために五感が働きます。

五感があるからこそ、私たちは音楽を素晴らしいと感じ、楽器を奏でたいと思います。

また、聴いてくれる人にもこの素晴らしさを共有したいと思うのです。

しかし、五感が働き過ぎて守りが硬くなることがあります。

危険回避のための本能と照らし合わせて考えても当たり前のことだと思います。

そこをどう打破できるかが、ある人の人生にとても大きな影響を及ぼすことになるでしょう。

あるいは打破など考えず、信じたら突き進むというのもアリだと思います。

これもまた五感を信じる方法のひとつです。

そして五感は生きていることを楽しむためのツールとも言えます。

生きている限りは働き続けるのが五感です。

自分の感覚を信じること

最近は何を考えてもこんな結論に行き着くのです。

自分になる

ドラムに限ったことではありませんが、物事の最終目標はどう設定すべきでしょうか?

得意分野を伸ばすことともつながるのですが、人生の最終目標は
自分になることです。

自分探しのためにいろいろやってみる、というのも有効だと思います。

そして、探していく中で好きなものを見つけていきます。

基準は自分の中にあります。

世間ではこれが受ける
世間ではこれが流行っている

ということを基準にすると、のちに苦しくなってきます。

もちろん流行ものが好きなら乗れば良いです。
自分の好きを基準にすると、自然とやる事が習慣化していきます。

好きという気持ちには人を前に進ませる力があります。

そして、そうしているうちに本当の自分になります。

本来の自分に帰るとも言えると思います。
今の世の中には選択肢が多すぎます。

これに惑わされず、自分を見つける事が、自分になることです。

ドラムで言えば、やはり自分らしいプレイをすること、自分を理解して自分の信じたドラムを叩くこと
でしょう。

この点がブレなければ、もう小さな悩みは無くなります。

ドラムだけでなく、人生に応用しても良いと思います。

得意分野を伸ばす

私はドラムが得意だと思っています。

そして、他者と比較するのではなく好きなものが
8ビートであり、
16っぽいノリであり、
シンプルなフィルインであり、
ポップなノリです。

私は得意なもの、好きなものが明確なのです。

だから、それを自分の才能だと自覚して、繰り返し練習し、さらに自分の物にしようとしています。

もちろん、新しいことに挑戦することもあります。

挑戦することは素晴らしいことだと思います。

ただ、根幹に好きな気持ちがなければ苦行で終わってしまうでしょう。

好きでもないのに極めようとするのは
自分に負担をかけるだけです。

自分に素直になって、得意分野を伸ばす方が楽であり、自然です。

いま、壁にぶつかっていると感じる方はこの点を考えてみると解決の糸口が見つかるかも知れません。

リズムパターンいろいろ

幼少の頃エレクトーンを弾かせてもらったとき、リズムパターンで遊ぶのが大好きでした。

特にパーカッション系がたくさん入ったパターンが好きで、
特にそれに合わせて何を弾くとかではなく、ただ聴いているだけで楽しかったのを覚えています。

テンポを速めたり、遅くしたりして
ずっと遊んでいました。

最高のオモチャでしたね。

ドラムとパーカッションの音の聴き分けなんかできなくても
十分に楽しかったです。

あの当時は決まったパターンと、いくつかのフィルインしかなかったのですが、
今のリズムマシンはなんでもありですね。

打ち込みのリズムが一気に広がったのも理解出来ます。

手軽にハイクオリティなものができますしね。

ドラマーが必要なくなるんじゃないか

なんて論議もかつてありましたね。

あれから数十年経過しましたが、未だにドラマーは必要とされています。

上手く共存して、良いところを活かしていきたいですよね。

リズムパターンは選ぶものか

リズムパターンて、一体何種類あるのでしょうね?

ほんの微細な違いも含めてみると、数えきれないほどあるでしょう。

しかも、8ビートにしても、バスドラのパターンを入れ替えればさらに枝分かれします。

もう数えるのは無理です。
リズムマシンにはかなりの数のリズムパターンが入っています。

これだけでも、「この100種類全部使った事があります」
という人はおそらくいないでしょう。

そして、実際のドラマーはパターンを知っているだけではなく、

パターンをアレンジしたり、
リフから想起されるパターンを繰り出したりします。

かっこいいリフにバッチリ合うパターンがハマった時は嬉しいですよね。

曲作りに参加する楽しさですよね。

たとえそれがすでにあるパターンで
あっても、
リフから生まれたパターンはオリジナルと呼んで良いと思います。

また、逆にリフの隙間に切り込むようなパターンも面白いです。

バンドのマジック、相乗効果です。

ですから

数ある選択肢の中からパターンを選ぶ

という感覚よりも

リフの持つ力を活かす

という感覚が面白いですよね。

経験を共感に活かす

生きているといろんなことを経験します。

良い経験ならばたくさんしたいですが、必ずしもそうもいきません。

世の中には色々な人がいて、様々な事情があります。

そうです。
立場上仕方がなく、自分の意思に反して動かざるを得ない人もたくさんいるのです。

皆それぞれ目的があり、それを達成するためにそれぞれの立場を演じるのです。

だから、もちろん将来的に立場が逆転することだって有り得るのです。

そしてそこから学ぶことは大きいはずです。

立場の違いと、それに囚われている時の感情

これは立場が逆転したときにしかわからないのかも知れません。

批判するひとには批判する役割が与えられているのでしょう。

でも、その人はその人の基準でしか物を捉えていないのかも知れません。
どんな時も共感と思いやりは大切です。

共感する事が出来る人はいろいろな経験を積んできています。

多分共感できるようになるために
人はいろんな経験を積むのでしょうね。