速い曲、遅い曲

若い時はとにかく速い曲が好きでした。

多分心拍数が速かったのではないかと想像しています。

遅い曲は苦手意識がありました。

ドラムを叩く動作で言えば、連打していれば安心、
手がタイコ類やシンバル類に当たっていない時間が長いのは不安

という感じでした。

だから、遅い曲になると手数を増やしてごまかしていました。

しかもごまかしているという自覚はなく、
それが自分のオリジナリティだというスタンスでやっていました。

でも、音楽は大抵の場合、自分一人でやっているのではないです。

一緒に音を出すメンバーや、作曲者の意向というものがあります。

これが自分のプレイだから合わせて欲しいと言えるだけの強さがあればそれで良いでしょう。

でも、私はそうではありませんでしたので、遅い曲もできるように練習しました。

リスナーとして聴く音楽も自然とミディアムからスローになっていきました。

自然な流れで変化しました。

今では遅い曲でも速い曲でも
苦手意識はありません。

自然な流れなので良かったのかなと思っています。

牧場でのライブ

過去にいろんな場所でライブをしたことがあります。

忘れてしまっていることも多いのですが、いつかのゴールデンウイークに牧場でライブしたことを思い出しました。

原っぱにトラックが置いてあって、そのトラックの荷台がステージでした。

事前になんとなくそんなステージだと聞いてはいましたが、
私が想像していたどこかで見たことのあるトラックのステージとは程遠いものでした。

床がツギハギのベニア板で、しかもベコベコしました。

隣で誰かが動くと、そっちがへこんでこっちが浮き上がる状態です。

椅子に座って演奏するドラムという楽器にとっては
床が安定していることは大前提です。

なのでかなり危機的な状態でした。

スネアもちゃんと見ていないと突然斜めになったりしますので、
普段とは違う意味で緊張感たっぷりでした。

どんな場所でも普段通りの演奏ができるようにと練習していたつもりでしたが、
たまにはどうにもならないこともあるものです。

リハーサル

昨日はhidekaさんのリハーサルでした。

6/11の札幌スピリチュアルラウンジに向けて調整中です。

次回のライブでは、東京でのライブ後にある方から頂いたリクエストに応えようと、hidekaさんのloco-holidays時代の名曲が新たにラインナップに加えられました。

ドラムとベースという形態は制限も多いですが、
やりようによってはとってもオリジナリティあふれるものに変化していくのです。

シンプルで、かつ骨太なロックになってきています。

皆さんに披露できることを楽しみにしています。

携帯プレイヤー

私が音楽を聴くのはもっぱら移動中です。

スマホかiPod shuffleで聴いています。

とても持ち運びが便利ですよね。
持っているのを意識させない軽さです。

ひと昔前では信じられないほど小さいのに、驚くほどの容量があります。

カセットテープのウォークマンが発売された時は画期的だと驚いた記憶がありますが、
こんな時代になるとは全く思いもよらなかったです。

好きな音楽をどこでも気軽に楽しめる最高のアイテムです。

慣れてしまうとそれが当たり前になるのが常ですが、
この便利さにいつも感謝していたいと思っています。

カバンの中にカセットテープを何本も入れて持ち歩いていた頃が懐かしいです。

過大評価、過小評価

自分のことをどう評価しているかは
自信に直結しています。

生活する日々の中で様々な経験をする私たちは、過小評価しがちです。

日本人として育ってきたということは、調和を大切にするように教育されてきたということです。

従順な性格であればあるほど個性が出しにくい環境だと思うのです。

厳しくされて育ってきて、ある時個性が大事だという正論に出会い、
戸惑いが生じます。

個性を抑圧されてきた期間が長かったので、今さら個性を出そうとしても不自然になります。

そもそも個性は自然に出てしまうものなのに
出そうとして頑張らなければならないというおかしな事になっており、

しかもその事に気が付かなかったりします。

そんな私達は自分のことを過小評価しがちです。

そして、自分のことを過大評価している人の事を良く思わない人がいます。

でも、自己評価は自分で決めるものです。

誰も評価しなくても、
せめて自分くらい、自分のことを評価してあげたら良いじゃないでしょうか。

他人に評価してもらおうと思ったって、それはあくまでもその人の感じるところなので
そもそもいくら頑張ったところで他人は誰かのことを評価する必要がないのです。

評価してもらえたらラッキー、その程度のものです。

時には自分のことを過大評価しても良いのではないでしょうか?

野外練習

札幌にいた頃、郊外の河原にドラムを持ち込んで、河原でドラムの練習をしていました。

特に今くらいの季節から6月くらいまでは気候がとても良いのです。

空気がカラッとしていると音もカラッとしていますよね。

木製の楽器だと特にそう感じます。

近くに何も無いところだったので、日が暮れるまで思う存分叩いていました。

たまに車が近くの道を通ることはありましたが、
苦情を言われたりしたことはなかったですね。

犬の散歩をしている人にも会いましたが、あまり気にされてなかったみたいです。

とても良い環境なのですが、虫刺されだけは参りました。

虫除けスプレーと蚊取り線香は必須でしたね。
野外だと音が響かないため、耳に聴こえてくる音はソフトです。

なので、その中でいかに通る音にチューニングするか
なんてことも試してみたりしていました。

そのままのチューニングでスタジオに入ってみると全然響きが違って、それも発見でした。

懐かしい思い出です。

阿吽の呼吸

阿吽(あうん)の呼吸、以心伝心、
大雑把に言うとどちらも言葉で言わなくても伝わるというような意味です。

楽器を演奏している最中は通常喋りません。

なので時には阿吽の呼吸が必要になります。

練習して、その通りに再現すればもちろん練習通りに演奏できます。

でも、アイコンタクトなり、相手の呼吸をはかるなり、何らかの方法が必要になる場面があります。

メンバーの誰かのノリがいつもと少し違うな

と感じた時、そのメンバーの方を見たりします。

気付いてもらえない時は寂しいですが、気付いてもらえて、アイコンタクトを取れて、こちらの言いたいことがわかってくれたら最高です。

誰かと一緒に音を出している限りは、
相手のことを意識しますよね。

私はそうなのですが、たまにそうではない人もいます。

特に、セッションなどで初めて会った人と音を出す時に
他の人のことを見ていない人がいますが、
これは困ります。

コミュニケーションは言葉だけでも、言葉以外だけでもなく、両方があって成り立つものですよね。

特に音楽を表現する場合にはこの点を考慮することで伝わり方が違うかも知れないですね。

左利きセッティングに思う

ドラム初心者の頃、スタジオに入ったら全てのセッティングが逆になっていて驚いたことがあります。

何か人とは違う演奏方法をしている人が使っていたのかと思いました。

でも、のちに左利きの方が叩いてる姿を見て納得しました。

でも考えてみると不思議な感じがしました。

たまたま今まで右利きセッティングしか知らなかったので
そのセッティングでドラムを覚えましたが、
もしかしたら左利きセッティングがスタンダードになっていた可能性もあるのかなと。

ドラムに限ったことではないですが、

鍵盤楽器の音程は右が高音で左が低音

弦楽器は左側にネックがくる

こんなことも全部不思議に思えてしまいます。

特に弦楽器なんて、右利きの人は右手の方が細かい動きが出来そうなものなのに、なぜ左手がネック側なのでしょうかね?

本当はどちらでも良かったのでしょうかね?

まあ、でも同じようなことを考える人がいると見えて、
ドラムにはオープンハンドで左手でハイハットを叩く方法もありますし、
ジミヘンみたいな変則的な弦の張り方をする人もいますよね。

結局、楽器の習得は慣れなので、どちらでも良いのでしょうかね?

ちなみに私は本物のドラムを見たことがない時に、
ハイハットは踏んだら開くのだと思っていましたので、
本物に触れた時にびっくりした事を覚えています。

あと、右足を怪我して使えないことが多かったため、左足でバスドラを踏むことは割と普通にやっていました。

鏡の中の世界に入ったら慣れるのが大変そうですね。

五感を信じる

人間は五感によって生きていることを実感しています。

危険を感じたり、生きていくために自分を守るために五感が働きます。

五感があるからこそ、私たちは音楽を素晴らしいと感じ、楽器を奏でたいと思います。

また、聴いてくれる人にもこの素晴らしさを共有したいと思うのです。

しかし、五感が働き過ぎて守りが硬くなることがあります。

危険回避のための本能と照らし合わせて考えても当たり前のことだと思います。

そこをどう打破できるかが、ある人の人生にとても大きな影響を及ぼすことになるでしょう。

あるいは打破など考えず、信じたら突き進むというのもアリだと思います。

これもまた五感を信じる方法のひとつです。

そして五感は生きていることを楽しむためのツールとも言えます。

生きている限りは働き続けるのが五感です。

自分の感覚を信じること

最近は何を考えてもこんな結論に行き着くのです。